肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

麒麟がくる「第四十回 松永久秀の平蜘蛛 感想 久秀さんの意地と罠」

 

麒麟がくる第40回、松永久秀さんがとうとうお逝きになられて、なかなかえげつないものを織田家明智光秀さんに遺されていてかんたんしました。

 

www.nhk.or.jp

 

 

ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

松永久秀さんが本願寺攻囲の陣から抜け出し、反信長方に寝返り。

そのさなか、明智光秀さんと密会して、「自分が死んだら」平蜘蛛釜を託すと約束。

松永久秀さんは史実通り10月10日に自刃。

だんだん様子がおかしくなってきた織田信長さんに「平蜘蛛釜どこ行ったか知らんか」と詰められて、思わず「知らねっす」と答えてしまう明智光秀さん。

おうちに帰ったら届いている平蜘蛛。

「……これ、久秀さんの罠なんじゃね?」

 

明智光秀さん(と佐久間信盛さん)が着実に追い詰められている、えげつないシナリオになってきましたね。

 

 

吉田鋼太郎さんと長谷川博己さんの長会話演技、

吉田鋼太郎さんの自刃演技、

いずれも大変よございました。

さすがの声の通り、メリハリの効いた表情と所作。

 

吉田鋼太郎さん、各種インタビューで「久秀にとって真に天下人たりえたのは三好長慶さん」と思いながら演じてくださっていたそうで(あくまで松永久秀さんの私情としてですよ)、確かにところどころでそんな感情が滲み出ているようで、私としてはたいへん感慨深いものがございました。

 

三好長慶さんと織田信長さんの比較、

近頃の織田信長さんの様子の危うさ、

大和統治を巡る筒井順慶さんとの確執、

本願寺上杉謙信さんという反信長の受け皿の存在、

かつて天下の一角を担った自尊心とさいきんの不遇、

かつて克服したつもりだった「家柄・血筋」の逆襲、

確実に実感する自らの老い。

 

それらすべてを意地に変え、寝返って戦うことを決めた松永久秀さんは、何代も前から武士やってきた家の人よりも、よっぽど熱い武士ソウルを発揮していたように感じ取りました。

それでこそ我々が愛する松永久秀さんですよ。

本当にありがとうございます吉田鋼太郎さんとスタッフの方々。

 

 

そして、そんな自分自身の意地を大事にしつつ、一方で、気に入っていた明智光秀さんにたいして第1話ばりに酒を酌み交わしながら涙ながらに心情を伝えているのがね、超エモいよね。

 

平蜘蛛釜を明智光秀さんに託すという行為は、

自分自身の明智光秀愛をはっきりと形に表しつつ、

明智光秀さんに天下の方向を担う覚悟を迫りつつ、

織田信長さんに対して激しくザマァする行為でありつつ、

織田信長さんと明智光秀さんの間によく燃える火種を仕込み、

結果として織田家崩壊のきっかけになったら笑ったるわボケェ、という、

松永久秀さんにとって何重にも戦略目標を達成できるえげつないプレゼントな訳です。

これは知略93・外政91(大志基準)も納得の謀略だわ。

 

従来伝説のように単に爆死するよりも、よっぽど松永久秀ドラマとしてアガりましたね私は。単身自爆よりも、織田家に時間差自爆テロ喰らわして死んだ方が三好家遺臣としても格好いいじゃん。

きっとあの世で長慶さんに三好家崩壊を詫びつつ、「でも、ちゃんとやることやってから死にましたさかい!」と笑顔で報告して苦笑いされていることでしょう。

これには三好三人衆もニッコリ。

 

まあ結果として光秀さんの人生も追い詰めることになってしまうんですけど、きっと久秀さんは「まあ十兵衛なら大丈夫やろ」と信頼しきっちゃってたんでしょうね。

 

 

明智光秀さんを大河ドラマにしてくださったおかげで、新たな解釈の松永久秀さん物語が誕生した訳で、こんなに嬉しいことはありません。

明智光秀さんドラマとして明らかに必要量以上の畿内史愛をブチ込んでくださっていて、感謝に堪えないっす。

 

 

そういえば、松永久秀さんと明智光秀さんといえば、後に関ヶ原の戦いあたりで筒井家旧臣の島清興(左近)さんが「あの二人みたいに果断な武士が減ったよね」とボヤいたみたいな伝説があるじゃないですか。

(ソース元が怪しいのでたぶん創作だとは思っています)

 

あの逸話、従来だったら「松永久秀明智光秀=超謀反型野望野郎」みたいな解釈前提だったのでしょうけど、いまだったら「松永久秀明智光秀=政権の一角を担った人物が、己の信念や意地を通すために兵を挙げたんだよ」的な解釈も出来そうで、そしてそれは既に先行評価されてきている島清興さんの上司の石田三成さんにも通じることで、なんだか味わい深いですね。

 

 

 

あと数話でいよいよ麒麟がくるもフィナーレです。

これまで散っていった数々の武将たち以上に、明智光秀さんの最期が煌めくものでありますように。

 

 

麒麟がくる「第二十四回 将軍の器 感想 足利義輝の美しさ」 - 肝胆ブログ

麒麟がくる「最終話 本能寺の変 感想 世を平らかにする覚悟に果てなし」 - 肝胆ブログ

 

 

ウルトラマンZ「ウルトラヒーローズEXPO 2021 感想」

 

ウルトラマンZのEXPOを配信で拝見しまして、ウルトラ6兄弟やジャグラスジャグラーやグランドフィナーレ舞台挨拶の熱量等々、かんたんする場面がたいへん多くてとても気持ちが盛り上がりました。

 

なかなか遠出もできないので、今後もこうしたイベントを配信してくれるとありがたいですね。

 

ultraman.spwn.jp

 

 

以下、ネタバレを一定含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

配信動画の内容としましては、ウルトラマンZのEXPOバトルステージが1時間くらい、加えて出演俳優陣によるグランドフィナーレ挨拶が1時間くらいと、充実したコンテンツになっております。

 

 

バトルステージはアブソリュートタルタロスさんとウルトラマンZたちが戦うものでして、配信中のギャラクシーファイト(大いなる陰謀)との関連性が強い感じです。

 

詳細は申し上げませんが、私としましては

 

辺りが大変アガりました。

 

久しぶりにスーツ&蛇心剣で戦うジャグラーさんとか嬉しいですね。

蛇心剣にヘビクラショウタドックタグが巻き付いていたり、ジード映画以来の縁かゼロさんとタッグを組んだり、アブソリュートタルタロスさんと普通に張りあえたりしているのもポイント高いです。

 

ウルトラマンだ!」「セブンだ!」「ゾフィーだ!」

「エースだ!」「ジャックも!」「タロウもいるぞ!」

さいきんのウルトラ6兄弟は、登場=勝利演出でいいですね。

 

あと、本人はいないのにタイガさんがヒロユキさんについて熱っぽく語っていたのもイイものですね感に満ちていて笑みがこぼれました。

 

 

 

出演俳優陣のトークについては、とにかく平野宏周さんと青柳尊哉さんの間の濃密な熱量が半端なかったです。

この二人の関係性、とてもいいですね。

今回のウルトラマンZの試み、数年前の作品のキャストが現行作品に参加するというのは、ストーリー面だけでなく、俳優陣や制作場面、イベント時ファンサービス等々、さまざまなところでプラスの効果があったように見受けられました。

 

トークの内容はあまりネタバレしない方がいいと思うので細かくは伏せておきますが、推しのジャグラスジャグラー関係についてだけ少し触れると

 

等々、めっちゃガツンともっていかれる要素がふんだんにありますので、彼のファンは観ておくといいように思いますね。

青柳尊哉さんのMCの上手さ、ファンサの細やかさも必見モノです。

 

 

 

EXPO、実際に行ったことはありませんが楽しそうですね。

客降りやハイタッチ、一緒にご唱和等々、舞台特有の演出がご時世柄できないのは出演者的にも観客的にも残念ですけど、それを補おうと懸命に盛り上げてくれていたのがまことに好印象です。

ウルトラマンシリーズはこんなにファンを大事にしてくれているんだなあ、と実感できて、ロイヤリティが増しました。

 

 

さまざまな逆風に負けず、今後もイケてるステージ制作が続いていきますように。

あわせて、配信サービスも続いていきますように。博品館ゾフィー編も何卒。

「ウルトラ6兄弟 THE LIVE in 博品館劇場 -ゾフィー編- 感想 強い兄貴だ……!!」 - 肝胆ブログ

 

 

 

 

「小野篁 その生涯と伝説 感想」繁田信一さん(教育評論社)

 

小野篁さんの評伝が出版されていてかんたんしました。

小野篁さんはお上に立てついてリアル島流しにあったのに有能なので復帰して出世したという公務員やサラリーマンの神様のような方なので、存在や事績が世間によく知られ、また、これを機に研究が蓄積していくといいですね。

 

www.kyohyo.co.jp

 

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目次は次のとおりです。

序章   歴史研究としての小野篁の伝記の試み  
第一章  朝廷が記録した小野篁の人生 
第二章  若き日の小野篁  
第三章  海の民の末裔  
第四章  篁の機智  
第五章  小野篁という能吏  
第六章  小野氏の先人たち  
第七章  遣唐使小野篁  
第八章  小野篁という庶民の罪人  
第九章  篁に惚れ込んだ白楽天  
第十章  小野篁という法律家
第十一章 冥界の裁判官を務める小野篁  
終章   小野氏および和邇氏の存在の記念碑としての小野篁

 

 

小野篁さんの生涯について、各種伝説ベースでなく、「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳天皇実録(薨伝)」といった歴史書ベースで解説いただける本になっています。

 

小野篁さんは9世紀前半、平安時代初期に活躍された方で、

  • 漢詩が超上手
  • 法律家としての見識も高い(令義解の編纂者の一人、序文を執筆)
  • 嵯峨天皇仁明天皇の寵愛を受けた
  • 若いときは陸奥国馬術を磨いたことも
  • 遣唐副使に選ばれるも、なんやかんやで職務をボイコット
  • 怒った仁明天皇により、隠岐の島へ島流し
  • でも、有能なので許されて復帰して再び出世していく
  • 最終的には参議、左大弁、従三位

 

ということで知られています。

 

 

また、そうした史実以上に、

  • 唐の白楽天小野篁さんの漢詩の才に一目置いていた
  • 夜は冥界に行って、副業で閻魔大王の補佐をしていた
  • 「無悪善(嵯峨なくてよからん)」と嵯峨天皇をおちょくった
    ⇒「子子子子子子子子子子子子(ねこのこ こねこ シシのこ こジシ)」

 

等の伝説が有名でして、

この本では第四章や第九章、第十一章等で、そうした伝説の内容を丁寧に解説しつつ、史実の視点から穏当に「まあ伝説ですよね」と説いてくださっています。

 

 

また、第三章や第六章は小野篁さん本人ではなく、小野氏のルーツや歴代人物について解説する内容になっています。

「猿女」「小野妹子さん」「小野老さん」「小野岑守さん」等、興味深い題材が次々に登場するので楽しい。

こうした周辺状況の解説が濃厚なのは、小野篁さんのことについてだけクイックに知りたい方にとっては不都合かもしれませんが、個人的には著者の小野氏愛や古代愛を感じて好印象です。

 

 

全体の読後感については、著者の気持ちや、著者としての歴史学へのスタンスがやや前に出がちな印象もありますけど、これまでまとまった評伝がなかった分野の初期研究ではそうした面を見受けることもよくあるのでまあいいかな、それよりはパイオニアになってくださったことへの感謝が先、という感じでしょうか。

学問的な突っ込みや批判が今後出ることもあるでしょうけど、何も起きないよりは起きて盛り上がった方がいいですよね。

 

 

 

私としましては、過去、京都や関東地方をぶらぶらしている時に小野篁さんの史跡を何度か見かけたことがあったり、最近も隠岐の島で小野篁さんの話を聞いていたりしたので、こうした一冊の本に伝記がまとめられて、周辺状況含め彼の生涯や伝説についてインプットできたのは幸いでした。

隠岐の島観光「島後:山中鹿之介潜伏先、水若酢神社、玉若酢神社、白島等」 - 肝胆ブログ

 

あらためて上で挙げたような史実・伝説それぞれをまとめ読みすると、小野篁さん、めっちゃ濃いですね。

有能エピソードと波乱エピソードと怪奇エピソードをこんなに一人で抱え込んでいる方は珍しいですし、好意や好奇心が高まっていくのを抑えられません。

 

著者もあとがきで述べておられる通り、平安時代といえばどうしても中期以降の有名人(陰陽師藤原氏、文学等)が目立ちがちで、前期の小野篁さんたちが注目されることは少ないのですけれども、面白さや興味深さではけっして負けていないと思います。

 

 

この小野篁さんの評伝を皮切りに、彼自身の研究についても、平安時代前期の注目についても、だんだんと盛り上がってまいりますように。

 

 

 

 

 

信長の野望20XX「三好義興さん登場……お、おぅ」

 

あけましておめでとうございます。

 

信長の野望20XXの正月ガチャに星4三好義興さんが実装されまして、これは新年早々めでたいぜきっと垂涎の強キャラなんやろなあとかんたんしていたら内実は愛玩動物のような仕上がりで思わず笑みがこぼれました。

 

 

↓義興さん実装のリリース

nobu201x.gamecity.ne.jp

 

 

さいわい、紹介状数枚で来てくださりました。

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……かわいい。

 

父祖から受け継いだスーツ×着物×お酒スタイル。

子どもがいたかよく分からないことを示すチェリー。

よく見るとカフスや羽織紐が釘抜紋でシャレオツですね。

烏帽子もそんな風に外して挨拶するもんじゃないと思うんですが、これが新世代のファッション感覚なのでしょう。

 

(ちなみに、松永久秀さんに毒殺された説は現在では下火になっています)

 

 

 

メガネのせいか、不思議と、なんか元の顔グラよりもお目目くりくり、唇ぽってりに見えるなあ。

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スキル名「帰京の導」は、朽木に追放していた足利義輝さんと和睦して京におこしやすしたこと由来、あるいは六角義賢さんにいったん京を追われるも教興寺で大勝利して京に取って返して再び京を奪還したこと由来でしょうか。

 

そんな畿内政局のターニングポイントを示すスキル名を踏まえれば、これはそうとうオラついた性能でもおかしくないなと思ったのですが……

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+70%(&呪い治癒)でした。

クリスマスパパと同じ倍率を獲得したと言えば聞こえはいいのですが、あちらはシャンパンペイン持ちで、こちらはあまり使用場面のない呪い治癒……。

しかも自分が呪われていたら使えないではないか……。

 

う、うーむ。

+70%の周囲攻撃バフというのは、決して悪い数字ではないんですけど、正月にガチャを回してわざわざ手に入れたいほどかというと……。

 

特性に至っては涙が出るような性能でありますし……うーん……星5千利休さん狙いのついでに手に入ったとかで、さいきん始めたプレイヤーでバッファーがまるでいないのであれば……という感じでしょうか。

 

 

 

でも、義興さんかわいいんですよ!

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こんなかわいい若に乾杯されたら、畿内中の侍が奮い立つわ。

 

 

 

奮い立った畿内中の侍に指揮を委ねられて、本人も嬉しそうです。

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でも死力を尽くしすぎて早世してしまうのはいかがなものか。

 

 

 

全体的にお父さんリスペクトを強く感じられていいですね。

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長慶さん、和菓子を独り占め。

意外と食い意地が張っていることを暴露されてしまいました。

 

 

そういえば学園でも……

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いちいちヒサヒデさんの存在をチラつかせてくるのがやばいっすね。

 

 

 

義興さんに戻りまして、

史実の義興さんは戦をすれば大勝利、幕府に入り込んでいって足利義輝さんとも関係良好と、生きていてさえくれれば三好家の先行きも長慶さんの寿命もだいぶ違ったんじゃないかな感がありますので。

性能どうこうよりも、なんであれこうして星4化されて注目されること自体がありがたいですし、よい弔いになるんじゃないかなと思います。

 

大阪府高槻市「霊松寺と三好義興墓(カンカン石)」&「芥川商店街 肉のマルヨシのコロッケ」 - 肝胆ブログ

 

 

 

現時点で義興さんのよい使い道は思いついていませんが、もしかしたらそのうち、かつての自軍長慶さんのように二天素殴り鬼殺しアタッカーとかにして遊んでみるかもしれません。

 

三好家の残る有力武将といえば安宅冬康さんや篠原長房さんたちがまず挙げられます。

彼らこそ、三好家の誇る暴力装置を象徴する方々ですし、もし星4化されることがあれば何卒イカつい性能になってブイブイいわせてくださいますように。

 

 

 

 

「日本のルネッサンス人 感想 突然の三好長慶ピックアップに驚く」花田清輝さん(朝日選書)

昭和の名文家花田清輝さんの歴史エッセイを読んでいたら、三好長慶さんの連歌が異常に高く評価されていてかんたんしました。

その評価視点が個人的に解釈一致なのでとても嬉しいです。

 

publications.asahi.com

 

 

花田清輝さんは卓越した文章力で有名な方で、教科書とか大学受験問題とかでも時々題材に使われているような気がいたしますね。

 

「日本のルネッサンス人」はそんな彼が日本の中世~近世、あるいは近世~近代の転換期をテーマにエッセイを執筆したものです。

ここでいうルネッサンスは古典の再生や復興ではなく、自立する民衆ですとか転換期の自覚ですとか個人性の獲得ですとかを指すニュアンスなのでありましょう。

 

昭和50年の作品なので、当時の史実認識や視点(階級的なノリとか)や言葉遣いはちょいちょい気になる点もございますが、それを割り引いても文芸的な意味での文章力はさすがのクオリティでして、現代から見てもなお一級の歴史読み物と評してもいいんじゃないかと思いました。

 

 

収められているエッセイと題材は次のとおりです。

 

室町時代から江戸時代まで、実に充実したラインナップですね。

 

「本阿弥系図」では天文法華の乱に際して本阿弥一族が京都の町衆として比叡山と戦ったようなお話が入っていたり、

 

「曲玉転々」では謎めく後南朝からの勾玉奪還作戦が描かれていたり、

幻の後南朝小説「吉野葛」谷崎潤一郎さん(青空文庫) - 肝胆ブログ

 

「石山怪談」では石山本願寺籠城戦での奇跡の数々を「講談の原型」として、歴史記録としてはアレだけど文学として高く評価していたり、

文中に、この「あら不思議なるかな。」もしくば、「有難や不思議なるかな。」が出てくれば、きまってそのあとに、超自然的な出来事のかずかずが物語られる仕組みになっているのだ。

 

「赤ん坊屋敷」では途中から池波正太郎さんの鬼平犯科帳超面白いよね自分はこの場面こう解釈してるんだよねと、ただの鬼平犯科帳ファントークになりかけていたり、

 

「眼下の眺め」「金いろの雲」では、洛中洛外図はどうしても発注者誰だろうやこの人物誰だろうみたいな話になりがちだけど、それよりも楽しそうな民衆や、京の町を覆う金色の雲が超イケてるよね、という素敵な鑑賞レポになっていたり。

上杉家蔵の洛中洛外図のなかで、なんといっても、いちばん、目立つのは、無数のバラック建ての町屋と、そのまわりにむらがっている「町衆」をはじめとする、種々雑多な、芽ばえの形における市民たちのはつらつとしたすがたである。ということは、初期の洛中洛外図の画家たちの同情が、かれらのパトロンだった公家や武家よりも、いわんや南蛮人などよりも、はるかに当時の市民たちにたいしてそそがれていたことのあらわれであるとみることができる。

 

 

読み手の関心に応じて、さまざま楽しめる良い本だと思います。

 

 

 

私の場合は、「カラスとサギ」という一条兼良さんや応仁の乱足軽アナーキーさを題材にしたエッセイの末尾で、突然

いまは、ただ、たまたま、わたしの記憶の底からよみがえってきた一句を、左にかきつけておくにとどめよう。

 古沼の浅き方より野となりて

 

と、三好長慶さんの有名エピソードが引用されたので超驚いたんですよね。

 

マジか、と思っていたら、その後で「古沼抄」という章が出てきて、

宗養だったか、紹巴だったか忘れたが、誰かが、「すすきにまじる芦の一むら」とよんだあと、一同がつけなやんでいると、長慶が、「古沼の浅き方より野となりて」とつけて、一同の称賛を博した。(『三好別記』『常山紀談』)

中世の暮れ方から近世の夜明けまでを生きた三好長慶は、右の一句によって、かれの生きていた転形期の様相を、はっきりと見きわめていたことを示した。かれ自身が、古沼の芦の一味だったか、野のすすきの一党だったかは、このさい、問題ではない。「古沼の浅きかたより野となりて」――おもうに、時代というものは、そんなふうに徐々に移り変わって行くものではなかろうか。そして、転形期を生きた人々は、多かれ少なかれ、いずれも、「すすきにまじる芦の一むら」といったような――あるいはまた、「芦間にまじるすすき一むら」といったような違和感にたえずなやまされていたのではあるまいか。それかあらぬか、わたしには、「古池やかわずとびこむ水の音」という芭蕉の一句よりも、「古沼の浅きかたより野となりて」という長慶の一句のほうが、はるかにスケールが大きいような気がしてならないのだ。

 

と絶賛し始めましたからね、これはもう衝撃のエクスタシーですよ。

ほんまびっくりしました。

 

まあ、冷静に考えると、三好長慶さんはこの昭和時点では俗説まみれですし、この一句もソースが若干怪しいので本当に長慶さんが詠んだのか確証持てないですし、単に花田清輝さんの歴史観とこの一句がたまたまマッチしただけで長慶さんそのものには別に深い関心を持っていなかったんじゃないかと思わなくもないんですけど。

(このエッセイはこの後、そもそも連歌ってすごいよね、という話になっていって三好長慶さんの話は掘り下げられません)

 

それでもなお、さいきんの研究も踏まえた三好長慶さんの事績、古沼が野っ原に干上がっていくように中世畿内をじわじわ変えていったような姿に、この一句、この花田清輝評はとてもハマっていると感じます。

本人が詠んだのか、後から誰かが創作したのかは分かりませんが、この一句は長慶さんの生涯に実際よく似合うと思うんですよね。当時の飯盛城の眼下には深野池が広がっていた訳ですし。

 

こういう、現代になってから誰かが評し始めそうな文章を、昭和50年の時点で予言のように書き残しておられるってえのはごっついことだなあとかんたんいたしました。

こういう慧眼っぷりをたまに見つけられるから、少し昔の文章を読むのは楽しい。

 

かつて名文と呼ばれた書籍が、なかなか流通に乗らなくなっていくのは仕方ないことではありますけれども、電子版含め復刊や再刊、再評価、ルネッサンスが定期的に起こって次の世代に知恵が繋がっていきますように。

 

 

 

そんなこんなで大晦日ですね。

コロナとかいろいろありましたが、今年もおおきくは良い一年でした。

皆さま方におかれましても、事故なく怪我なく喧嘩なく、良い新年をお迎えになられますように。

 

 

 

小説「逆軍の旗 感想 明智光秀/戸沢藩暗闘/南部藩仇討ち/上杉鷹山」藤沢周平さん(文春文庫)

 

大河ドラマ麒麟がくる」をきっかけに藤沢周平さんの明智光秀短編「逆軍の旗」、および同収録の「上意改まる」「二人の失踪人」「幻にあらず」を読んでみたところ、いずれも場景がひたひたと目に浮かぶような筆致に胸を打たれかんたんしました。

 

books.bunshun.jp

 

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藤沢周平さんの文章は、大げささや煩ささがなくて、写実的で、丁寧に抒情を拾い取ってくれているような感じがしていいですね。

 

以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当文庫に収録されているのは次の4品です。

  • 逆軍の旗(明智光秀さんの本能寺の変前後を描く)
  • 上意改まる(戸沢藩の家老同士の暗闘を描く)
  • 二人の失踪人(南部藩の農民による仇討ち譚を描く)
  • 幻にあらず(米沢藩上杉鷹山さん、竹俣当綱さんの活躍を描く)

 

おおむね史実や記録に沿って、小説のかたちで描写した作品群と思われます。

 

以下、それぞれ見どころとお気に入りの一節の紹介を。

 

 

逆軍の旗

本能寺の変前後の明智光秀さんの心情を描写する作品でして、本能寺の変そのものの様子や、山崎の戦以降の顛末は描写されません。

 

見どころは、明智光秀さんは「織田信長さんの狂気が怖い」「このままでは自分も殺される」「殺られる前に殺る」という、極めて素直な動機で本能寺の変を起こすのですが、一方で明智秀満さんたち側近は「じゃあ殿が天下の主になるんですね!」と盛り上がっていく対比描写。

 

細川藤孝さんや筒井順慶さんの動向もあり、明智光秀さんがものすごく暗い気持ちを抱えたまま山崎の戦直前で物語が終わるという、爽やかさの欠片もない暗澹、希望のなさが秀逸ですね。

 

天下の主という位置に何の執着もあるわけではない。いまそのために働いているのは、信長襲殺といういわば非道な企てに加担して働いた、配下の将士への思い遣りのようなものだった。細川父子にあてた覚書の中で、近国を平定したら、あとは息子の十五郎、与一郎忠興などに引き渡して隠居すると書いたのも、ある程度本音だった。

――間に合わんな。

光秀は呻くように思った。天下を争う者らしく、秀吉とは対等の力で兵を交えてみたかった。戦場の駆け引きで、秀吉に後れをとるとは思わない。だがいまの兵力では、秀吉の大軍に勝てる筈がなかった。敗れれば、ひとりの反逆者の名が残るだけである。そのもっとも惨めな場所に、光秀を追い詰めようとして、秀吉はやってくるようだった。

 

 

 

上意改まる

戸沢藩(新庄藩)において、片岡家と戸沢家という家老同士が暗闘するお話でして、スカッとする要素はなく、片岡家が陰謀に嵌まって族滅されるという悲惨な内容です。

 

陰惨ではありますが、大目付の北条六右衛門さんが格好よかったり(陰謀を止めるまではできませんでしたが)、その娘の郷見さんがいじらしかったりしまして、彼らの描写が好きです。

片岡家の藤右衛門さんと郷見さんの逢瀬、いかにも映像映えしそう。

 

冬の間戸沢藩城下は雪に埋もれる。人の往き来さえしばしば途絶える深い雪である。思う人を諦めるにふさわしい季節だった。二十五の片岡藤右衛門に、それが容易なわけはなかったが、雪が消え、周囲を山に囲まれた盆地に色彩が戻ったとき、藤右衛門は郷見の面影がやや遠くなったのを感じた。

ただ胸の底に、昔は知らなかった暗い哀しみのようなものが残り、そのために藤右衛門は以前より寡黙になった。

 

 

 

二人の失踪人

南部藩雫石の農民が、水戸藩那珂湊で見事に父の仇討ちを果たす、というお話です。

藤沢周平さんによれば、題材の元ネタである南部藩士横川良助さんが書いた「内史略」という書の原文自体が「立派で香気がある」ということで。

 

仇討ちそのものよりも、仇討ち後の南部藩水戸藩との行政作法描写が面白いですね。原文の内史略を参考にしたものと思われますが、南部藩使節水戸藩現地に赴いて仇討ちを遂げた者の身元を証明する流れとか、当時の価値観や文化がクリアに伝わってくるようで一読の価値があるように思います。

仇討ちの仇討ちを防ぐため、「帰国の際は関係者全員が同じ着物を着て、誰が仇討ちを遂げた者か分からないようにする」「仇討ちを遂げた者の名を偽名にして帰国する」なんて事例も興味深いですね。

 

庄助はじっくりと丑太の顔、身体つきを眺めてから言った。

「そなたは、どこの国のものか」

丑太は初めてちらと眼を挙げたが、庄助の緊張した表情をみると、尋常に答えた。

「盛岡領雫石村の丑太と申します」

「宗旨は何宗で、寺号は何と言うか」

「済家宗で、お寺は臨済寺と申します」

「私に見覚えがあるか」

「わが村の庄助どのでございましょう」

庄助は孫之助の方を指した。

「あそこにいるのが誰か、解るかな」

「叔父の孫之助でございます」

丑太の声が顫えを帯びた。たまり兼ねたように孫之助が言った。

「これは、甥の丑太に相違ありません」

「私もそのように見届けた」

庄助は言ったが、さらに問いかけた。

「父の仇を討ったことに相違ないな」

「はい。ご当所で、三月二日父の仇村上源之進を討ち留めましたことに相違ありません」

庄助はゆっくり座を立ち、元の席に戻ると大内清右衛門に向かっていった。

「ごらんの通りでございます。見分しましたところ、国元雫石村百姓安五郎の弟、丑太に相違ございません」

「ごくろうでござった」

大内も丁寧に答えた。

「見届けが済んで、我我もほっと致した。貴藩のご主君に申し上げられたら、さぞご満足なさることと思われる」

大内の言葉を聞きながら、庄助は緊張がゆるやかに解けるのを感じた。

――大切な役目が終わった。

 

 

 

幻にあらず

米沢藩、上杉治憲(鷹山)さんと 竹俣当綱さんの藩政改革を題材にした作品で、森利真さんの粛清や七家騒動等が描写されます。

 

よく世間で知られている通りに上杉治憲さんも竹俣当綱さんも有能で敏腕なんですけれども、そうした一代の優秀な人々を以てしてもなかなか解消されない上杉家の窮乏っぷりの描写がすごくて、やはり明るい作品ではないんですけれども、現実の様々な企業や自治体や組織で長年の旧弊に苦しむ人々に「逃げぬこと」「諦めぬこと」の大事を実感させてくださるように思えます。

 

ラスト、藩政改革に疲れて引退を願う竹俣当綱さんに対して上杉治憲さんが叱咤する場面は、役目に任期を設けてしまうサラリーマンと、逃げる先がないオーナーとの対比のようにも思えて好きですね。

 

当綱は微笑した。治憲は、その微笑に思わず背筋が冷たくなるような感じを受けた。当綱は、あるいは米沢藩の建て直しが、ついに実ることがないのを見通したのかもしれないという気がしたのである。だから身をひこうとしている。

「幻ではないぞ、当綱」

思わず治憲は、叱咤するように言った。藩建て直しに、ちらとでも疑問を持った自分を叱った声でもあった。藩主には身をひく場所はない。

 

 

 

 

かように、この短編集は明るさやロマンやダイナミズムはありませんけれども、人々の営みや心情を粛々と実際的に描いてくれている歴史小説なので私は好きです。

 

こうした、疲れたり、嵌められたり、見通しを失ったりした人に対して、小説という光を当ててくれているのは、それ自体が優しい行為のように思えます。

誰かが見てくれていて、もしかしたら誰かの心を打っているかもしれない、という救いがありますよね。

 

現在を生きる疲れた人々に対しても、あたたかい眼差しや支援が届きますように。

 

 

「海帝 7巻 感想 仏教とのフュージョンが素晴らしい」星野之宣先生(ビッグコミックス)

 

鄭和さんの活躍を漫画化した「海帝」7巻、舞台となる大海原・大自然と、船団への来訪客「ゲンドゥン(ダライラマ1世)」さんとのフュージョンっぷりが素晴らしくてかんたんしました。

仏教思想的なものを表現した漫画としては、近年随一ではないでしょうか。

 

bigcomicbros.net

 

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7巻では、鄭和さんの初回航海の終焉と、第2次航海~第3次航海開始まで。

 

見どころは主人公の鄭和さんと永楽帝さんの濃密過ぎる関係性の展開なのですが、個人的に一番かんたんしたのはゲストキャラのゲンドゥンさん。

ゲンドゥンさんと、捕虜の海賊「陳祖義」さんとの会話が良すぎたので、自分用のメモも兼ねて、長く引用したいと思います。

 

「皆も外に出て海を眺めたらよろしいよ…

 大海に真理あり!

 もしも永遠の時を生きる神仏の目が

 この世界を眺めれば…

 何もない平地が徐々に隆起し、

 やがて峨々たるヒマラヤ山脈になるのを

 つぶさに見るだろう…

 時が過ぎればそれも崩れ落ち、

 深い渓谷へと変ずる…

 永遠の時の中では、

 何億年もの大地の営みも瞬時に変転する。

 波のうねりの如きものが――

 なぜ仏僧が日がな一日座禅を組み、

 長々と経文を唱えるかわかるかい?

 短い生涯の中でせめて山河にも似た

 不動の姿をとり続ければ、

 神仏の目にとまるかもしれぬし

 神仏を見るかもしれぬからだ。

 不動のものこそ信ずるに足る――

 不動のものにつき従っていけば、

 いかなる荒波をものりきっていける。」

 

 

「おい!

 死んだらどうなる!?

 死んだらアレか。

 地獄に突き落とされて業火で灼かれるのか?

 ここよりもっとひどい目に遭うのか

 ……教えろ!」

 

「死ねば――

 神仏に還るだけです。」

 

「神仏に?

 ……けっ!」

 

「私たちの霊魂は神仏のもの――

 それが各々の人生を経験しているのです。

 出家僧も海賊も等しく――

 善行も悪行も、経験してみなければ

 神仏には知りえないからです。

 悪行を罰する地獄などあろうはずがない。」

 

「出まかせだ!

 神仏は永遠に生きるから、

 人の短い一生など見えないと言ってたぞ。」

 

「よく覚えていてくれたもの…

 やはりあなたは正気を保っている。

 ではこう考えたらいかが――

 私たちは自分の体内の小さな小さな部分を

 見ることはできない。

 しかしそこにも命があり生きて死んで…

 それが集まって人は生きる。

 霊魂とはそのようなもの。

 無数の命の無数の一生が神仏に還っていく―――

 こうして神仏は永遠に生きるのです

 あらゆることも学び知りながら――

 永遠から見れば生き物の一生は一瞬にも満たず

 生き物からは永遠は大きすぎて見えず。

 ただ生き、死に、また新しい一生のために

 生まれ変わる――

 霊魂の無限の輪廻転生こそが神仏なのです。

 私はこれから先も僧として生まれ変わりますが…

 一度くらいは

 あなたのような悪人に生まれてみたかった。」

 

「あ!?」

 

「悪人は楽しそうだ…

 金銀があれば盗む、

 気に入らない奴は卑怯な手で倒す。

 とにかく欲しいものは腕ずくで奪う――

 そして笑う。

 ほくそ笑みふくみ笑いあざ笑う…

 苦悩するのは善人ばかり。

 生活に苦しみ、法律に縛られ信仰に思い悩む…

 神仏とて、あなたのような人生を

 経験して楽しかったかもしれない。

 思いきり良い目を見たと……!」

 

 

この、チベット仏教のノリと、星野之宣世界観と、海帝の舞台である大海原、アジアの雄大な大地が、混然一体となって語られているのがものすんごいグルーヴ感あって良くないですか。

話がどんどん壮大になっていって、星空と生きているような気持ちになれるのがよい星野之宣作品ですよね。

 

 

この後、ゲンドゥンさんの話を聞いて思うところがあった陳祖義さんが、最期、永楽帝さんに向かって平知盛さん的セリフを吐き出して逝くのも超いいんですよ。

あの有名なセリフ、確かに上で引用したような輪廻転生的価値観とハマりますわ。

 

漫画そのものの画力や構成力と合わせてぜひご覧になってみてくださいまし。

 

 

 

第一次航海に惜しみなくネタを投入されていたので、第一次航海で連載が終わってしまったらどうしようと心配していたんですけど、どうやら第二次航海以降も連載は続くようで一安心です。

 

引続き鄭和さんの大冒険が実り多くワクワクするものでありますように。

 

 

「海帝2巻感想 鄭和艦隊vsダイオウイカという狂気」星野之宣先生(ビッグコミック) - 肝胆ブログ